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社会的テンプレートと抜いて生きる Identity 日記

誰にでも
変な価値感や
頭のおかしなところっていうのは
存在してて
でも、社会に合わせている。

社会に合わせると言っても
個々にとって社会のとらえ方が
大きく違ってしまうと
システムとして成り立たなくなってしまうので
一応のガイドラインが必要ということになる。

そういった理由から
モラル、社会定義、固定概念というテンプレート
が必要になってくる。

そしてそのテンプレートに収まるうちは
変な部分も「個性」として認められる。
でも、そのテンプレートに収まらない
価値感も存在する。
(まぁ、世の中には定規がないと線も引けないような人もいるらしいけど。)

で、その「テンプレートに収まらない価値感」というのは
確かに存在するし、その存在をみんな認識していると思う。

俺にもそういった価値感がある。
ただし、それが言語として他人に伝達可能かどうか
あるいは他人の共感を得られるかという問題が残るけど。
(だから逆に俺は「価値感の一致」を信じていない。
間違いなく伝達できているかどうか、
共感できているかどうかを
確かめるすべがないから)

ただ、そういった価値感は
上記で説明した
「社会というテンプレート」
から外れているので軋轢が多少なりとも発生する。

まぁ、端的に言ってしまえば
自分のそういった価値感を前面に出していると
結構消耗する。
疲れるのである。

なのでそういった価値感は
みんななるべく押さえて
社会というのが構築されていく。

で、それが大人になるというか
社会に順応していくことというか
鈍化していくというか・・・・

で、俺の場合だけど
一人の時は
押さえ所がよくわからなくなる。

でも、そう感じてるのは
俺だけじゃないと思う。

例えば、よく
「あいつは彼女が出来て落ち着いた」
とか言われる人はそういうもんなんだと思う。
(もしかして違うの?)

もうちょっと詳しく言うと
それは彼女が出来て
それに合わせるために
押さえてるわけではないのである。

感覚としては
恋人などが出来ると
「抜ける」のである。
(いや、Hな意味ではなくてね^^;)

恋人や家族が居ると
それを理由に
自分を納得させて
抜いて生きることが出来る。

それが甘えだと言われれば
多分そうなんだろう・・・・けど

精神のリミッタとして
凄く助かる。

俺は、たまに冗談で友達とかに
「汚い大人になりやがって」
とか言う。

でも、すっごく素直に言ってしまうと
そういった社会との軋轢を生まない
汚い大人になりたくてしょうがない・・・

まぁ、そうは言っても
すぐになれるもんでもないので
とりあえず仕方がないので
こうやって日記に書いて公開したりして
抜いているのである。
つまり社会的テンプレートに収まっていないのは
本人が一番自覚している

もちろん、この文章自体も言語として他人に伝達可能かどうか
あるいは他人の共感を得られるかという問題が残るけど。

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